フィクション

 

私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。

私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのをみて、貴方は変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美くしくなるような心持がしました。

夏目漱石こゝろ」より)

 

お嬢さん、もとい、彼女を好きでいる時の私は、それは輝いていて、いっとう可愛いと思う。彼女の存在は、潤いであり、祈りであり、また暗示でもある。

しかし、必要と言って、不必要でもある。これは化粧や着替えと似ている。より良い自分でいるために必要なのだ。娯楽というものは人生をより朗らかに生きる為の飾り付けのようなものだ。彼女の存在が、私をより美しくさせていることは間違いない。外見をというよりは、魂レベルで。気高い気分が自分に乗り移ってくる。清らかな彼女に触れればいつだって私は浄化されるのだ。(スピリチュアルブログではないよ!)

 

彼女を想う気持ちは、信仰のようなそれと言っても間違いではないだろう。しかし、それは虚像のようなもので、彼女自身というよりは、概念としての彼女を、架空の「芸名としての彼女」を信仰しているにすぎない。いわば偶像崇拝である。

信仰とは、信頼だ。私は世界を彩る彼女の感性に全幅の信頼を寄せている。または、あの時彼女を好きだと思った自分自身の直感を信頼しているとも言える。

演出上、オーダーは下敷きとして存在する。言ってしまえば演出意図に沿っていて表面上正解であれば、それで良いのだ。役を作るのは、良くも悪くも彼女のみである。だからこそ、彼女だけが絶対的に正しい。そこに他人や自分の感情や解釈は必要ない。

とは言え、これは信仰であって、妄信ではない。そもそも信仰でもないが。

 

この頃多くの雑誌に彼女が掲載されている。それを手にした日の夜は彼女の夢を見た。勿論夢の中でも立場は変わらず私は彼女のファンだった。

 

ファムファタール

破滅を招く存在ではないが(現実、預金残高は常に勝手に破滅している)、彼女は甘い毒のようでたびたび私を狂わせる。他人との比較ではなく、彼女はきっとこの世で最も美しい。見た目だとかそんな話ではないし、そもそも唯一を他と比べる意味もない。たまに私が作り出した都合のいい幻想なのでは?と訳の分からないことを考えてしまう程なのだ。夢の続きだろうか?

恋は罪悪。さすれば向かうのは地獄と言ったところか。バーチャル信仰シミュレーション、地獄エンド。でも、もしかしたら本当に永い夢の途中なのかもしれない。

夢だとすれば、彼女に会いに行く為だけに新調した素敵なお洋服や、とびっきりのお化粧や、お気に入りの甘い香りのパルファンは、変身のための魔法アイテム*1なのだ。そして、それらを身につけ魔法にかけられた私は彼女に会うべく城*2へ向かう。美しいシンデレラは彼女の役割だが、魔法が解けるのは脇役の私が夢の城である劇場を後にするときだ。(城のエントランスのピアノがひとりでに演奏されるのもきっと魔法なんだと思う。)

 

恋だの愛だのと表現すると、実体があるような、生々しいような気がするが、私の気持ちはおそらく信仰に近いものなのだ。それこそ魔法のような、夢のような、非現実的であって、またこれほど現実的なことはない。気高いものなのだ。多分。

いつだって私に夢を見せてくれる彼女の夢が、きっと叶うよう、私は祈る。

清らかで、健やかで、朗らかでいてほしくて、私は祈る。

彼女が、彼女自身を世界でいちばん最高で素敵で幸福な人だと思ってくれるよう、私は祈る。

居ても居なくても何も変わらないような私だが、祈らずにはいられない。

愛は祈りだから。

 

 

*1:魔法アイテムもといバトル装備

*2:初めて大劇場のロビーを見た時城じゃんと思った、し、須王環の家のようだとも思った