夢の話
出会ってしまった。
雷に撃たれたような、そんな劇的でロマンティックな話ではない。
熱しやすく、冷めやすい。
いつも、いつか来る終わりを思いながら人を好きになる。
推しがいた。何年もの間ずっと好きでいた彼との時間を、あっさりと手放した。公演の幕間に突如発表され日生劇場のフカフカの椅子でひとり発狂したという、あの公演のチケットももちろん抑えていた。炎上したわけでも、冷めたわけでもなく、今までもそういう生き方しかできなかった。
生き方というと大袈裟なような気がするが、オタクは人生だ。遊びではない。物心がついた時から私の人生の主役は他人だった。交わることのない他人への憧憬を抱きながら生きてきた。本来、娯楽や息抜きでありたいと思いつつも、それが原因でいつも病むので本末転倒である。
オタク、すぐ病む。
宝塚と出会ったことで、好きだった彼の優先順位は下がるどころか、消えて無くなった。ものすごく聞こえ良く言うとすれば、一途なのである。そこに後悔はひとつもなく、突然すぎることに周りの友人のほうが驚いていた。
しかし、幾度となくジャンル移動を繰り返し、めぐる季節とともに推し変をする女S。私にとっては慣れっこであった。
では何故今まで宝塚に出会わなかったか。避けていたのだ。出会ったら絶対にハマってしまう確信があったからだ。まだその時ではないと思っていた。それなのに、ちょっとだけなら…と興味と出来心で手を出してしまった。家族から「ついに辿り着いたか」と言われた。宝塚をなんだと思っているのか。その数日後から現在に至るまで、リビングのテレビにはもうスカイステージしか映らない。テレビの前では、母が歌い、弟が踊る。
宝塚しか見えていなかった。天衣無縫の極みである。
ここで重要なことは、なんと特定の推しが存在していないということだった。
ただ一人だけを選びたい私は、決めかねていた。
何故なら人が多すぎる。ありえないくらいに人が多い。しかもみんな顔がいい。その上顔がいいだけではない。決まるわけがない。
この人だ、という人に出会いたい。なるべく選択肢を増やそうとして、気になる生徒さんのお茶会に行ってみたこともあった。
そんなとき、ある公演。気になる人がいた。
何故彼女だったのか、理由は思い出せないが、何度目かに観た公演で「今日はどうしても彼女に注目したい」と思ってオペラグラスを傾けていた子の、その日は誕生日だったらしい。
帰りの新幹線で酒を煽りながら私は分かってしまったのだ。これは運命だ、と。
その手にはあまりにも好みドンピシャすぎる彼女のスチールがしっかりと握られていた。
酒に酔っているのか、さっき見た夢に酔いしれているのか、ほろ酔いの私が、彼女を応援しなくては、と思い込むにはこんなことで充分だった。
運命感じなきゃウソだよ、つんく♂もそう言っていたではないか。
私にできることは何もない。それでも彼女を好きになることは止められない。
こうして私の人生の主役は、彼女へと受け継がれた。
凛として気高い彼女はとても眩しく、目に写すだけで全てがいっぱいに満たされて、彼女と出会ったことが私の人生の正解の選択だったと分かる。
彼女に出会ったばかりの私は、知らないことだらけだ。つまり、知ることができることがたくさんあるということだ。なんと幸せなことか!何を見ても新鮮に感動できるなんて!
彼女を通してこれからも新しい景色を見る。
世界は美しく彩られる。
わたしはつくづく運がいいのだ。
きっかけはあまりに浅はかだった。というか、あまりにも薄っぺらい幕開けである。
しかしながら、出会ってしまった。
経験上、終わりが来ることはもう分かっている。
夢はいつか覚める。
それは私が冷めるときか、はたまた彼女が去るときか。
好きではなくなるまで、好きでいようと思う。
あー いとしいあの人、
お昼ごはん何食べたんだろう。